感覚の貧困さと感受性の豊かさ

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「感覚の鋭い人」への憧れと劣等感

世の中には驚くほど感覚の鋭い人がいます。一を聞いて十を知る人、振付を一度教わっただけですぐに覚えてしまう人。自分の体の重心を瞬時に把握し、回転のバランスも難なくこなす。そんな姿を見ていると、つい「すごいなあ」と感嘆してしまいます。

それに比べて自分は……と落ち込んでしまう人も多いのではないでしょうか。実際、そう感じるのは自然なことです。しかし、ちょっと待ってください。

誰もが持っている「感覚」という能力

実のところ、誰だって「感覚」は持っています。違いがあるとすれば、それは習得に必要な練習量だけなのです。感覚の鋭い人は少ない練習で身につけ、そうでない人はより多くの練習が必要になる。ただ、それだけの違いです。

この事実に気づき、自分を受け入れることができれば、本来は落ち込む必要などないのです。

豊かな「感受性」もまた個性

一方で、「感受性」の豊かな人たちもいます。何気ない一言に深く傷つき、風の音から季節の移ろいを感じ取り、音楽に涙する。大なり小なり、こうした経験を持つ方は意外と多いのではないでしょうか。

何かにどれだけ反応し、感じることができるのか。この「感受性」も「感覚」と同じく、すべての人が持っているものです。ただし、その強弱には個人差があります。

他人との比較は意味がない

ですから、他人の「感覚」や「感受性」を気にする必要はありません。それぞれが持つ特性であり、優劣をつけるものではないからです。

「感覚の良さ」が持つ意外な落とし穴

実は、感覚の良い人にも弱点があります。簡単に習得できてしまうため、十分な練習を積まないことがあるのです。果たして本当に完全に身についているのか、判断が難しい場合があります。

体の変化や環境の変化など、「感覚」の条件が変わったとき、練習不足は大きな問題となります。子どもから大人への成長、体重の増減など、体の変化によって従来の感覚が通用しなくなることがあるのです。

変化への対応力は練習量で決まる

こうした変化に直面したとき、十分な練習で身につけた感覚でなければ、混乱やスランプに陥りやすくなります。一流のダンサーたちの多くは、こうした壁にぶつかったとき、基本に戻って練習を繰り返すことで乗り越えています。

しかし、感覚だけに頼って練習を怠った人は、スランプに弱く、そこから抜け出すのに苦労することが少なくありません。

大切なのは感情的にならないこと

このように考えてみると、「感覚」が乏しいからといって、あるいは鋭いからといって、感情的になる必要はありません。どちらにもそれぞれの特徴があり、大切なのは自分の特性を理解し、それに合った努力を続けることなのです。

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