
バレエは、おとぎ話を踊る芸術。
そんなイメージを持っている人は少なくありません。
『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』。
そこには王子やお姫様がいて、物語があり、音楽があります。
もちろん、それはバレエの大切な魅力です。
けれど今、世界では少し違う作品が生まれています。
イタリア・スポレート音楽祭で初演された、振付家ベンジャマン・ミルピエの新作『Du bout des lèvres(デュ・ブー・デ・レーヴル)』も、そのひとつでした。
この作品は、クラシック音楽でも、オペラでもありません。
フランスを代表するシャンソン歌手、バルバラが歌った世界を、バレエとして描いた作品です。
ここで、ふと考えます。
歌は、踊れるのでしょうか。
歌詞を身体で語るということ
歌には言葉があります。
その言葉を耳で聴けば、意味は理解できます。
けれど、本当に心に残る歌は、言葉だけではありません。
ため息のような息遣い。
少し震える声。
歌い終わったあとの静けさ。
そんな「言葉にならない部分」が、私たちの心を動かしています。
だからこそ、ミルピエは歌詞を説明するのではなく、その奥にある感情を身体で表現しようとしたのでしょう。
踊りは、歌を説明するものではなく、歌が残した余韻を受け継ぐもの。
そんな作品に見えてきます。
バレエは、物語だけを踊る芸術ではない
クラシック・バレエには、物語があります。
しかし現代のバレエは、必ずしも「ストーリー」を必要としません。
一つの詩。
一枚の絵画。
一冊の小説。
あるいは、一人の歌手が生涯をかけて歌い続けた世界。
そうした芸術そのものを、踊りへと変えていく。
近年のヨーロッパでは、そんな作品が少しずつ増えています。
そこでは、「主人公は誰なのか」よりも、「どんな感情がそこに流れているのか」が大切になります。
愛すること。
失うこと。
記憶すること。
待ち続けること。
その一つひとつを、身体が語り始めるのです。
見えないものを、見えるものへ
バレエには、不思議な力があります。
音楽は耳で聴くもの。
歌は声で届けるもの。
けれど踊りは、それらを「見えるもの」に変えてしまいます。
目には見えないリズムを、腕の軌跡に。
胸の奥にしまった想いを、呼吸の間に。
言葉にできない感情を、一歩の重さに。
だから私は思います。
バレエは音楽に合わせて踊る芸術ではなく、音楽そのものを見える形へ変える芸術なのだと。
芸術は、互いに響き合う
シャンソンがバレエになる。
一見すると、不思議な組み合わせです。
でも考えてみれば、芸術は昔からそうやって育ってきました。
文学が映画になり、
絵画が舞台美術になり、
詩が歌曲になり、
そして歌が踊りになる。
芸術は、それぞれが別々に存在しているのではありません。
互いに影響し合い、新しい表現を生み続けています。
ミルピエの新作は、そのことを静かに教えてくれます。
歌が終わっても、踊りは続く
歌は、いつか終わります。
最後の音が消えれば、静けさが訪れます。
でも、その歌が心に残したものは、消えません。
その続きを身体が踊ることができる。
だから、歌は踊れるのです。
バレエとは、物語を語る芸術である前に、言葉にならないものを身体へ託す芸術なのかもしれません。
そして、その身体は今日もまた、誰かの心の中で、新しい物語を踊り始めています。

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